陽はまた昇る
2008年03月11日 岡崎 徹
社会はなんと6問のヒット。
受験生はテンション上がったんじゃないかな。
夏目先生は戦後の歴史を含め、2問のヒット。
間違えやすいところの的中でした。ありがとう!
長神先生は需要供給曲線がまさにそのままの「モロヒット」!
を含め2問ヒット!名前のとおり、神がかかり的でした。
ありがとう!
塾長は毎年毎年的中させ続けている。
そして、今年も江戸初期の貿易品目をふくめ2問ヒット!
ありがとうございました。
箸本先生も国語の漢字で1問ヒット。ありがとう。
残念ながら自分の予想はまったくヒットしなかった。
でも、本当によかった。
当てるために予想をする、わけだ。今も、今後も。
でも、合格させるためにする、わけだ。
合格させるためにしてきたことは、これまではかりしれない、わけだ。
自分はそう思う。
自分は知っているし、生徒たちも、多分。
単なる予想屋としてやっているわけじゃない。
江尻先生は多分今日も早起きして、予想をしているんじゃないかな。
もう、じゅうぶんやってきた。
補習も授業も。
これ以上、何をやる必要がある?
もう、教えることなんて残ってないよ?
でも、知っている。
時間が残されている限り、やるべきことがある、ということを。
そして、それはいま、予想しかないこと。
祈る前に。
9日、三好と広田校で授業を終え、春を感じさせる光の中、車を進めていた。ウルフルズの「大丈夫」ばかりを聴いていた。
「きっとだいじょうぶ」と口ずさんでいた。
「きっとだいじょうぶ」
と自分に言い聞かせていた。何人かの子たちの顔が浮かんだ。
その後、はるかの質問に答えた。
「きっとだいじょうぶ」
Aの日も陽はまた昇る。
カイタクが好き
2008年02月05日 岡崎 徹
僕は人と接する時に、客観的に物事を捉えようとするがあまりに、一線を超えないときが多いように思う。
でも、それでいいと思っている自分がいるのも否定できない。
超えれば超えていいし、超えられないなら超えなくていい。
コミュニケーションで無理をしてもそこには偽りのガラス細工しか残らないだろう。
そんな僕だが、バンプが好きだ。
今、車の中では、バンプかaikoかミスチルだ。
よくよく考えると、自分は授業中に下らない話はよくするけど、その手の話は滅多にしないなあ、と思い返してみた。
でも、理由もなく、バンプはいい。今はバックで「メーデー」が流れている。もう、ここ6年聴いていることになるなあ。
タツヤは元気かなあ。歌はその歌だけでなく、様々なものを一緒に連れてくる。だから、いい。
ところで、三好校。
この前、初めて嬉しいことがあった。中3の女の子が
「カイタクが好き」と、カミングアウト!
「好き」って今も昔も軽くない言葉。
僕は、自分が好きって言われるのもうれしいけど、「カイタクが好き」って言われる方がもっとうれしい。うまく説明できないけど、その子の性格のよさに触れた気がするからだろうか。
ありがとう。
妹も、君も、2人ともいい奴やなあ。
ほんとうのありがとうは、ありがとうじゃ足りないんだけど、ね。
After Battle
2008年01月07日 岡崎 徹
「よいお年を」。
松岡先生、箸本先生とそんな言葉をやりとりして。
午前は中浜校での久しぶりの授業。
授業前にちょっと緊張したのも久しぶり。
雪が降らなくてよかった。
校舎の前で立っていたら、最初に本校から移動してきたアスミが近づいてきた。一瞬だれか分からなかった。相変わらずのいい笑顔だな。
そして、セイタ、ショウタ。良かったよ、区別できて。
リホ、リカコ、マッサン、ショウスケ、シンタロウ、モリモリ、シュン、イクト、ヒラセ、ショウケン・・・。変わらんなあ。ユイも自分の感情の多くを表現できるあの目で、近づいてきた。笑っていた。変わらんなあ。
授業中、おもしろくもないのにみんなよく笑う。やさしいなあ。
完全定着テスト。優秀者は昔からいた奴ばかり。
変わったなあ。頑張るようになったなあ。立派だなあ。
帰りにモリモリのお母さんと久しぶりに喋った。お元気そうで何よりでした。横にお姉ちゃんもいて。懐かしかった。
午後から豊橋本校。やはり、2クラス。
シュンヤが真っ先にやって来た。相変わらずわきまえているね。ギターも頑張れよ。
ナカネ君、いい笑顔だったね。シオリ、背のびたね。負けた・・・。
ヒキタも立派に背伸びたし、髪も伸びた。
ヨシキ、名刺ごめんよ。
マオ、ユリ、「先生、久しぶり」のひと言、ありがとう。
チエミ、すごいじゃん、マイバトル。マイバトルといえば、マジマ、1000点すげえな。さすが、初授業での英単語テスト、クラストップ男。
マイバトル1000点と言えば、豊田でもいるよ。
三好校が誇るツートップ、スギヤマとレイナの2人。
そして広田校が誇る仲良し2人組、ケンタ&ナオヤの2人。
広田校、冬期講座よく頑張った。
授業前から話題が楽しい、楽しい。
「お前、昨日何点いった?」「すっげー」「マジ?」
「おれ、今日200点進むし」「ボーナスが入ったからな」
「学校の宿題、やばくね?」「マジやばいし」
授業では、明るい、明るい。やるときはモリモリガツーン!
マイバトル、クラス平均800点近く。
こんな校舎は他にはない、だろう。
異常や、お前ら。でも、かわいいよ、まったく。
本校でも授業、最初緊張したっけ。いやはや、まったく。
でも、まあ、なんとかね。国語、よく出来ていたね。
なんだかなあ、楽しかったよ。
久しぶりに。授業やって。
忘れかけていた感情なんて言うと、語弊をうむのかもしれないけど、偽らざる気持ちかな。
あと、シバタさん、久しぶりでした。お会いできてよかったです。わざわざ車から下りて声をかけて頂いてありがとうございました。
大晦日の午後7時、僕は豊橋本校を後にした。
昔、豊川校に行くときによく使った道を使った。
1号線にさしかかり、大きく左にカーブを切ったとき、レモンティーの缶が横倒しになった。僕は瞬間、左手でそれを受け止め、微笑みながらハンドルをまたまっすぐに戻し、アクセルを踏み込んだ。
勉強合宿
2007年11月10日 岡崎 徹
そして、僕の身近なところには、豊田本校の生徒たちがいる。
豊田本校は、豊田支部から見渡せるところにある。歩いてすぐの場所にあるのだ。
その2階に生徒たちがいる。支部の窓ごしに本校の生徒たち4、5人の様子が見て取れる。時折、笑顔も見えるが、真剣に勉強をやっているように見える。そして、現在午前4時。
「せんせい、勉強合宿がしたい!」
逢妻中のある生徒のこのひとことから今日のこの勉強合宿が始まった、らしい。
そして、それに付き合う男。
窓越しにも見えるこの男。
いつもは面倒くさそうに振る舞いつつも、生徒の成長をどこまでも心から願う男。
そう、この男こそが小宮卓也。
彼がこの豊田本校の校長でなければ、この合宿はなかっただろう。
ふと、昔のことを思い出す。
豊橋南校、そう、開拓塾の発祥の地。
そして、そこで教えていた自分自身のことを。
補習が夜中までなんてしょっちゅうだった。
望月先生と補習をやって、少し疲れて本部に戻ると、塾長がまだ補習をしていて。
非常識だと言われればそれまでだが、生徒に教えることが非常識ではないとだけ考えて。
質問で待っている子が10人いて、待たせて悪いなと思いながらも、それでも1人1人ちゃんと答えてやりたくて。
たまに脱線して笑いあいながらも、テストでの好結果が欲しくて。
朝、10時までの勉強合宿。
今は雨が降っている。
豊田本校の合宿参加の生徒たち17名よ。頑張ってな。
小宮くん、おつかれさま。
思い出は、いつの日も、雨。
BOURBON
2007年10月19日 岡崎 徹
バーボンが好きだ、
と言い切れるようになるまでには、だいぶ時間がかかった。
チューハイ、ビール、ワイン、日本酒、焼酎、そしてウィスキー。
アルコールが低い方から並べたけど、バーボンはウィスキーである。
ウィスキーもいろいろあるが、スコッチは辛口、バーボンはひと言で言えば、甘口である。
アメリカの主にケンタッキー州、バーボン郡が生産地だから、バーボン。
甘くねーよ。そう言われればそうかもしんない。
でも、ジョニ赤、黒などに比べ、なんてバーボンの味はマイルドだろう。そういうことです。
ぼくは、よく人や物に影響される。
高校時代にチャンドラーの「長いお別れ」を読み終え、決意した。
それ以後、Barに行くと最初のカクテルは「ギムレット」。(最近はたまに「XYZ」から飲むが)
タバコは今でも、CAMELなのである。
CAMELなんかなぜ自販機においてあるのだろう、他の人吸ってないのに、とずっと思っていたが、去年から相棒がはじめてできた。少し、驚いた。彼も「長いお別れ」を読んでいたと知り、笑った。
でも、大学時代前半は、Canadian Club(俗に言う、「CC」ってやつ)が好きで、Barに行くと生意気にもボトルキープなんかしていた。スコッチも飲んでいた。でも、心の底からおいしいとは思えなかった。
社会人になる前、Wild Turkeyを知り、はまった。そこからは一直線。
たまの休みにはいろんな酒屋をまわり、新しいバーボンを買って帰るのがささやかな趣味でもあった。
今はネットがあるから、年に何回か好きなものを頼み、自宅に届けてもらっている。
また、故郷の倉敷に帰ると、連れがバーテンダーをやっているAnniversaryという小洒落たBarに顔を出し、ギムレット、スタート、ネクスト、バーボンのロックてな具合でやっている。
でも、最初は全然強くなかった。よく吐いていたなあ。吐いても飲んでたけど。
じゃあ、吐くのになぜ飲むの、ということだよね。
そこに酒があるからだ、と答えれば少しは粋かもしれないけど、「強くなりたかったから」が本音だなあ。
だって、1970年生まれの僕は、本気で、「酒が強い男=カッコイイ男」という図式があったから。
カッコよくなりたかったから、少なくとも、酒の1点では。
それで少しは酒が強くなった僕がもてたかどうかはヒミツ。
ただ、友達は増えた気がする。ちなみに僕の友達のほとんどはバーボンが飲める。ありがたいね。
うーん、3,4年前ぐらいからかなあ、ほんとうにおいしいと思えるようになったのは。
今もバーボンをよく飲むけど、それは、健康であることの証でもあると思う。
僕は類まれな健康男で、他人にカゼをうつされた記憶がない。まわりが非常に元気で、こっそりカゼをひいている時がごくごくまれにあるくらいで。
咳、鼻水、胸やけ。ふだんと少しでも違う状態だとしんどい。
ふだんよりも他人に迷惑をかけているのも気が引ける。
仕事ならなおさら。責任感が強いとさらに、なおさら。
元気になったら、たまには、飲もう。
健康の証に乾杯しながら。
そのときには、バーボンよりもビールかな。
Eyes
2007年09月21日 岡崎 徹
「カザキ、おめえ○○のこと好きじゃろー」
突然、そう振られたのは、確か小5のとき。カザキは僕のニックネーム。
休み時間でリラックスしてたら、とんだ不意打ちを喰らったわけだ。
「ちがうわ、○○なんか好きじゃねえわ」
当時、岡山県民だった僕は、あたりまえだが岡山弁丸出しで即座に否定した。
ちなみに岡山弁は慣れ親しんだ言葉であるにもかかわらず、とってもきたない方言だ。
「わしゃあのう、この前あそこ行ってでえれえきょおてえ思いをしたんじゃ」
えっと、何語?
と突っ込みを入れたくなるぐらい。
女の子の岡山弁はかわいい。
「ウチなー、この前あそこ行ってなー、でーれーこわかったんよー」
そんなにかわいくない?
そんな岡山弁だが、僕は実家に帰ると岡山弁を上手に使いこなしている、と思う。
けど、たまにこっちの「じゃん・だら・りん」が語尾に混じる時がある。
そのとき、昔は「オレの岡山魂がじゃんだらりんに蝕まれている」とかしょうもないことを思ったときもあったが、
今ではどうでもよくなっている。
18年間故郷、岡山県倉敷市で暮らした。そして、離れて19年。
離れた時間のほうがいつの間にか長くなっている。そしていまや愛知と岡山の融合語を操る男。愛知では岡山弁を話さない男。ふっ。
そして。
「うそつけー。好きなんじゃろー」
「好きじゃねえわー」
「ほんまかあ?」
僕はしつこく絡まれて、自分でも思いがけない言葉を口走っていた。
「○○好きになるくらいなら、A子の方がええわあ」
うーん、今でも分からない。何でそんなこと言ったのだろう?
A子は当時自分の好きでも嫌いでもなかった子。話したこともあまりない子だった。
「おー、カザキ、A子がいいんじゃー。ヒューヒュー」
クラスはかつてない盛り上がりをみせた、と思う。
ちらっとA子のほうを見ると、A子は恥ずかしそうに笑いながら、はやし立てる周りの子の視線をかわしていた。
そして、年が開け、2月14日。そう、バレンタインデー。
学校から帰り、しばらくすると玄関のチャイムが鳴った。
母さんが出て、すぐに戻って来て僕に耳打ちする。「女の子よ」
僕は何ともいえない気恥ずかしい気持ちになって外に出る。
西田だった。僕のクラスのチャキチャキガール。「カザキ、この子たちがチョコ渡したいってさ」
この子たちって・・・・。
一人は中村。なぜか僕に6年間連続チョコをくれ続けた子。
そしてもう一人は・・・・・、A子だった。
「はい」とか何か言われてチョコをもらったと思う。
でも、僕はA子のチョコをもらうときに、うつむいたままだった。視線を合わせることができなかった。
「あ、ありがと」そう言うのが精一杯だった。
「何よ、もっとしゃべればいいのに」西田にそう言われたが、僕は何も言い返せなかった。
カイタクにも忘れられない目をした子がいるなあ。
親父とテニス
2007年09月13日 岡崎 徹
親父が言った。
「今度、倉敷に帰ってきたら、テニスをやろう」
「いいよ、やろうか」
今年3月の親父からの誘いを思い出した僕は、8月帰省する際忘れないように前の日にテニスラケットを玄関先に出しておいた。
僕の嫁は、テニスバカ。
もともとはバスケをやっていて、よくあの身長でレギュラーだったなあと思う。(推定身長151cm。推定なのは、教えてくれないから)よって、運動神経は良い方である。
「あのさー、バスケは人数いないと無理じゃん。2人でできるスポーツをマスターしてよ」
「何よ」
「たとえば、テニスとか」
なんて会話があったと思うが、それから自分でテニススクールを熱心に探し始め、いそいそとテニススクールに通い始めた。
そして、2人にテニスの会話が生まれた。
「今日、ボレーの練習やったよ」
「オレ、ボレー苦手やー」
「○○コーチ(僕は全く知らない)は、教え方うまかったよ」
「ふーん」
知らないコーチの名前もいつしか覚えるくらい嫁はコーチやテニスの技術の話をしてくれ、どんどんテニスにはまっていった。気づいたらテニスバカ。そう呼んでも、嫁は少し恥ずかしそうに笑い楽しそうにテニスの話をするのだった。
「お父さん、うまいよね?」
帰省中の車の中で話しかけてくる。
「んー、40歳過ぎからやっているからね。年季はいりまくっているらー」
そんなこんなで倉敷に着き、2日目の晩。親父が晩御飯の最中に言う。
「明日、8時半からやろう。だから、8時過ぎには家を出よう」
ハチジハン!何をそんなに張り切っているんだと思わないでもなかったが、了解した。
うちの親父は確か64。練習ではしょっちゅう休む。すぐに木陰のベンチに行っては座って汗を拭く。
30分ほどしてまた言う。「試合をやろう。カヨちゃんとトオルの勝ったほうがワシとやろう」
ううむ、上目線ではないか。親父はいつの間にかシードらしいのだ。
僕は本気を出して嫁に勝った。
「それじゃ、決勝戦じゃな」
僕のサービスからだった。
最初はたかをくくっていたが、親父のボレーとフォアのスライスは思いのほかうまかった。
最初のゲームを簡単に落としてしまった。あらま。
次のゲームは接戦だった。僕のリターンは好調だった。これは取れまい、と思いつつ強烈なドライブをかけて親父のバックにストレート。けど、親父はやわらかく返してくる。次は取れまい、と同じところにもう一球。そんな白熱した攻防が続いた。でも、マッチポイントを握られてしまった。(3ゲーム制なのね)
でも、不思議と負けたくないと思わなかった。むしろ、負けてもいいかな、と。
親父と昔、キャッチボールしたときのことを思い出していた。
どんなに変な球を僕が放っても、取りに行ってくれた、小学生のころを。
そして、今またキャッチボールをしている。
もう少ししてもいいかな、と思った。
僕はマッチポイントを凌ぎ、1ゲーム返した。
ついでに3ゲーム目も取り、(サーブがよかった)何とか親父を下した。
親父は結構悔しそうだった。暑い、暑いと言いながら、僕のことは褒めてくれなかった。
その後、調子にのった僕は、手持ち無沙汰そうな嫁に試合を申し込み、なぜか、負ける。
帰りの車で親父が言う。
「もっと早くから始めておけば良かったけどなあ。お前も知ってるだろ。フットベースボールの監督やらやっていたから、テニスを始めるのが10年遅くなったんじゃ」
ぼくはなんだかおもしろくなって、ちょっと笑った。
星と月と
2007年06月14日 岡崎 徹
グアムで見たそらだ。
月がそらを支配するかのようにまたたいていた。
きれいに見えるはずの星がほとんど見えなかった。
「星、見えないねー」
「月がいなけりゃ、もっときれいに見えるのにねえ」
夜空を彩る星と月。星の方が好きな人が多いだろう。
「星に願いを」
「流れ星に願いごとを」
月に願いごとをする人なんて聞いたことがない。
でも。月がいなけりゃこのそらはさみしい。
太陽が人間世界を照らし、月が夜をやさしく包んでいる。
夢を見ている人たちの上に月が笑顔で見守っている。
そして、星は自由にはしゃいでいる。
月よ。月夜。今日もありがとう。
星よ。もっと自由に。もっと輝こう。そして、お月様と一緒に。
太陽よ。いるだけであなたは。いつもありがとう。
そらを見上げて。
そらを見上げて。
そらのように。
Three years later
2007年03月26日 岡崎 徹
ココロ、いまだ冷め切らずって感じで、今。
卒業ライブが終わり、本部に戻り、卒業作文を読み、1年が終わる。
「祭りのあと」といった感じが毎年するのだけど。
今年はどこか違う。
去年は建部先生たちと焼肉を食べに行ったっけ。
今年もだれかとそうしようと思ったけど、みんな、忙しそうで。
ひとり、豊田に戻った。
それから、君の手紙を読んだ。
君が手紙を書くなんて。
もし、かりに君がこのブログを読んだなら、「先生、いつもとちがうし!」と言うだろうね。
でも、君の手紙も「いつもとちがうし!」。
髪の毛はもう生えんわ。おれはこのまま、ハゲていくで。今日も帽子、かぶってたし。
最近、ギャグが今一って言ってるけどな、俺のはひかせてから笑わす高等テクニック。それが分からずに俺のギャグについて語るとは100年、早い。
おまえのこと、バカにしていないよ。
ただ、お前と話していると楽しかった。あと、もう1個理由があるけど、それは伝わっていると思う。
おまえは、俺に一番ストレートに話しかけてくれる貴重な存在だった。
「うざいし!」
「最悪だし!」
「捨てるし!」
何回、暴言を吐いてきただろう。
ココロとは裏腹に。
おまえ、おもしろいよ。分かりやすすぎて。
ごめんよ、小坂井で、待たせすぎて。
ばれてるよ、その電話で、泣いていたの。
受からせたかったなあ。
そのときの絵も予想していたんだ。
内申、36で時習館、合格。
内申、33で東、合格。
内申29で小坂井、合格。
中浜校、時習館、東高校100%合格。
今年も開拓塾生は頑張った。
この規模の塾では、すばらしい合格率だ。
その全てに自分は関わった。
思い出すよ。
補習していて、できんくて、少しやけっぱちになって、
「めんどくさし!」
「うるせーな」
「だって、めんどくさいし!」
「じゃ、もう、おまえ、補習来るな」
「・・・行きます!」
なんで、そこだけ、丁寧語なんだ。おもしろすぎるよ。
なんで、そんなに素直じゃないんだよ。頑張り屋のくせに。
自主プロにアクアタイムズのお気に入りの歌詞書いて気合い入れていて。
ごめんよ、悔しいわ、俺も。
この文章、書こうかどうかずーっと迷っとった。
でも、おまえが勇気、ふりしぼって書いたもんで、俺も、な。
謝るな。
おまえは悪くない。
おまえは、一生懸命やった。
ほんとうに頑張ってついてきた。
俺、あんまりネックレスつけんけど、たまにつけるようにするわ。
おまえが、「てきとー」に選んでくれたものだから、な。
3年後、頑張ってくれ。
おまえはおまえで変わらんくていい。
3年後、もし、すばらしい道を開拓できたなら、
「めっちゃうれしいし!」
とおまえは言うカナ?
ココロ、いまだ冷め切らずって感じで、今。
south to east
2007年03月18日 岡崎 徹
最初、名前が読めなかった。
こんな漢字でそんな読み方をするとは思わなかった。
英語がよくできる子、でも、理科が苦手。
増田先生にはお世話になったね。
最初の定期テスト。英語が思うように取れなかった。
でも、普通の顔をしていた。
呼んで話したね。101教室の後ろの席で。
急に雄弁になった。
「せんせ、あの問題と、あの問題と、あそこも間違えて・・・・」
間違えたところをすべて覚えていた。
「悔しかったんだなあ」
その一言で、目に涙をためた。
夏期講座、秋、冬期講座。
おまえが手を抜いたことを見たことがない。
冬期講座で完全定着テスト、MVP。
みんなの拍手の中で、どうしていいか分からない顔。
いつもはバカキャラを演じていて。よく突っ込まれていて。
でも、肝心なところで自己表現がうまくできない。
感情は心の中にいっぱいあるのに、言葉として出てくるのは変なことばかり。
2月、そのことを少し話した。
また、泣いた。
3回目は、ついこの前。
「ごめんなさい」が第一声だった。
謝ることなんてない。
何を謝っているの。
お前の何が誤っているんだ。
頑張ってきただろ。
とてつもなく。
本校のみんなとともに。
その中でも、強烈に。
小学生のときから東に行きたかった、と。
Aグループで得意な英語を失敗した、と。
面接であせっちゃった、と。
なんでとれなかったんだろう、と。
でも、しょうがないよね、と。
でも、なんでとれなかったんだろう、と。
こんなんじゃ、落ちちゃうよね、と。
ディズニーランドに誘われていて、そのときには泣けないから、と。
合格発表、東に行ったほうがいいのか、と。
わたし、泣かないんだけどね。
そっか、先生の前ではなんか泣いちゃているよね、と。
言葉にすると、たったこれだけなんだけど。
必死にしぼりだすように一言ずつ、つむぎだしていた。
おまえは、失敗した。
確かに、英語はもっと取れていた。条件英作文のfromなんかは信じられない。
でも、おまえは。
失敗しても受かる力を身につけている。
受かっている。
おまえの受験番号の横には、「本校に合格」。
そう書かれているはずだ。
true true
真実であってほしい。
なぐさめでも、神頼みでもない。
ここまでがんばってきた事実が、
ここまで泣いてきた事実が、
south to east
ミナミをヒガシへ。
風に吹かれて
2007年03月14日 岡崎 徹
豊田支部の外で風がヒューヒュー泣いている。部屋の中にいても外の寒さが伝わってきそうだ。
君の家の外もそうだろう。
明日で終わる。
今年の1年も長いようで長くなかった。気がつけば、明日がもう、足元まで。
君もそうだろう?
最後の授業は中浜校。
6年間ここで教えてきた。
はじめて新築の校舎をやらせてもらった。
何もかもが新しかった。教室も、黒板も、こころも。
最後の授業なのに、こころはそれに支配されない。
まるで、普段の授業のように。
明るさがあり、笑いがあり、懸命さがそこにはあった。
まるで、あしたが入試ではないかのように。
それは、今日のくもりのない晴れわたった空のようにあたりまえで。
中浜校から一歩外に出ると、あたたかな風に、あおあおとした空。
上着を脱いで、車を豊田へと走らせた。
高速道路のインターチェンジに太陽の光が優しく降りそそいでいた。
やれることは、やったと思いたい。
やれることは、やった。
でも、こころはひとには伝わりにくい。
結果がほしい。
君もそうだろう。
結果で伝えたい、結果で喜び合いたい。
君よ、あしたは自分を解き放て。今までやってきたことをぶつけるだけ。素直になったね。
君よ、あしたは最後のテスト。ショウコと変顔対決して、緊張なんかするな。ここまでほんとうに頑張ったよ。
君よ、あしたは決めれればいいね。この1年、苦労したね。いつもの笑顔で、ただ、ひたむきに。
君よ、あしたは合格を決定する日。人は人、おまえはおまえ。テンパラずにやってこい。
人一倍口の悪い君よ、なやまず、びびりすぎず、やるだけだ。英語、とれればいいね。
入試の予想も、これまでも、これでもかと。
あたってほしい、あたらずとも解ける力もある、でも、あたってくれれば、もっと。
ここの風は君のもとにも吹きつけているだろう。
そして、あした。
How will the weather be tomorrow?
A mother’s letter
2007年02月11日 岡崎 徹
ある生徒の母親から手紙をもらった。もう、1年前のことだ。
その生徒は無事、第1志望校に合格した生徒だった。ただ、文章を書くのが苦手な子なので、本人は卒業作文を書かないと。代わりにお母さん自身が作文を書きましたと伝えられたときには、正直驚いた。お母さんが息子に代わって卒業作文を書くなんて初めて聞いた。
「きっといつの日か」と題された手紙には、いっぱいのお母さんの想いが詰まっていた。
3月22日、合格発表。ぼくは9時40分に豊橋東高校に着いた。発表は10時。あたりにはまばらに生徒たちがただずんでいた。緊張を顔に刻みつけながら、時が経つのを恐れる子たち。穏やかな陽射しだけがいつもと変わらず僕たちを包み込んでいた。そして、10時。
モトシが笑った。ヒロノが泣いた、叫んだ、歓喜の叫びを。
アユミは泣きながら最高の笑顔を。
泣かないマナが泣いた。
リカコ、ミヤコ、ユウタ、ヒカリ、エリコ・・・いっぱい受かった。
いっぱいの「本校に合格」。カイタクの勝利だ。
時習館高校の合格状況を携帯電話で聞いた。信じられなかった。
あの子が受かったって?あの子も、あの子も。
良かったな、受かって。ありがとう、最後までついてきてくれて。
何人もの母親とも話した。みんな一様に感謝の意をあらわしてくれた。リカコママ、エリコママ、ヒカリママ、ヒロノママとパパとお姉さん。マナのお母さん・・・。みんなドキドキしていた。みんなこの日を最高の結末で終わらせたかったんだ。ぼくと同じように、いやぼく以上に。
君がこの世に生を受け、その日からいつもそばにいた。
いつもそばにいるからこそ、分かること、分からないことがあった。
いつもそばにいるからこそ、かけてしまった言葉、かけられなかった言葉。
君がすくすくと育ってほしいとだけ願う気持ち、反対に期待をかけすぎてしまう気持ち。
保育園でのかわいい君を見てほおを緩め、小学生の君にときに眉をひそめ、中学校での君が理解しづらくなってきて。
カイタクに預け、君の頑張っている姿に一喜一憂し、でも、そのなかでたった一つずっと変わらないもの。それは君への愛情だった。
ありがとうございます。
ぼくは、お母さんが書いてくれたことに値することができたのかどうか今もって分かりません。
日々の授業は、いまだ不完全な毎日です。
でも、嬉しかった。不完全なぼくを信じてくれて。
時は過ぎ、いずれぼくの子どもも大きくなる。(実は昨日は子どもの誕生日でした。6歳になりました。あと、ナナミもおめでとう。)
その時にお母さんの気持ちが分かるのだろうか。
今年は、妹ですね。
自己表現が不器用で、たいていのことを変な顔して誤魔化しちゃう子だけど、頑張っています。英語も徐々にですが、できるようになっています。あともう一息です。
今年もしたいことは簡単に言うと1つしかないですね。
「合格」の2文字を与えたい。
TOYOTA
2007年01月08日 岡崎 徹
昨日、豊田へ行ってきた。
早いもので、来年が今年になった。
今年、3月。わが開拓塾は豊田に4校舎を出す。
そのうちの1つ、豊田北校を車で探していた。
あいにく僕の車はタイヤが1つパンクしていたので、もう一台の車で。
いやあ、ETCもナビもないと不便だね。あっちへ行き、こっちへ行きでやっとのこと豊田北校にたどり着いたのは、日が暮れてからだった。後部座席で子どもの一人は口をあけて寝ていた。
聞いていたとおり、すごい場所だった。
周りにはほとんど何もない。近くで建設中の大きな病院になるらしい建物がずんぐりと建っていた。ぽつんと一戸建ての家が斜め後ろに控えていた。その中で、本来ならひときわ異彩を放つと言いたいところだが、周りとの比較があまりできないのでそうとも言い切れないわが開拓塾の豊田北校があった。豊田本校とは大違い。
「こんばんは」と業者の人に挨拶。「こんばんは」と返ってきたが、僕が誰だかは分からなかっただろう。
そして、車で通る人たちもこの建物が何なのか、分かっていないだろう。
僕は思った。南校と同じだ。
塾長と望月先生とで作り上げた開拓塾、豊橋南校。
当時、眼前にはただただ、草っぱらが広がっていた。夕日がすすきに揺れてきれいだった。そして、未開の土地を切り開くかのように開拓塾が建っていた。
開拓塾の歴史と快進撃はここから始まった。
同じようにはいかないかも知れない。けど、この未開の地に降り立ち、楽しいことになりそうだと少し思った。
豊橋、豊田。
合格の架け橋の豊「橋」。
なら豊田にも「橋」をかけてやりたいな。こっちでやってきたように。
I want to
2007年01月08日 岡崎 徹
さっき、自分の書いたブログをUPさせようとして前回同様間違えてしまい、年甲斐もなく切れてしまった。ほんとうに機械に弱く、どうしようもない。15分以上もったいないことをしてしまった。
本題に入る。
妻と話していて気づいた。過去の記憶がまるでないということを。そして、あまり思い出そうともしない自分がいることを。小学3年生の時は、五嶋先生が担任で、新聞係をしていて、モリナガという嫌な奴がいて・・・、と徐々に辿っていけば思い出せないこともないのだが、記憶を呼び起こすことが億劫だ。
なぜだろう。忙しいから、と人は言うでしょう。そうではないんだな。
忙しいから、遊べない。忙しいから、この仕事できませんでした。「忙しいから」は何か呼応の副詞みたいになって終わりに否定形をとる。この言葉、口に出さなくても心の中で思ってたら使っているのとおんなじじゃ。忙しいから、ではない。
忙しくても、遊ぶ人は遊ぶでしょう。忙しくてもバリバリ仕事をこなす人もいる。要はやりたいか、やりたくないかでしょう。遊びも、仕事も、そのほかも。
俺は一般人だから一般人の考え方しかできないけど、それはそう思う。過去のことを思い出すのが面倒くさいのは、やりたくないから、だけ。
過去のこと、思い出してもしょうがない。23歳のときからそう思って生きてきた。思い出してくよくよしててもしょうがない。消しゴムは文字しか消してくれないし。終わったことを振り返って悩んでも始まらない。「始まらない」から終わってるんだけど。
次に残っている未来で。その未来を素晴らしい形にして、過去に閉じ込めて。
過去のことを振り返ることが生産性がないと言っているわけではない。統計学的にも過去のことは大事です、とこの前教えられた。その通り。生徒の過去のことを覚えていることも大切だと思う。
でも、仕事以外でごくたまに過去のことを話すやつらがいる。決まった友達だけど。そのうちの一人が、31歳の時だったかな、こんなことを手紙に書いてきた。
「お前も過去のことしか話せない奴になったな」と。
ビリビリその場で手紙を破き、肩で息をした。そいつは俺にとって過去のことを話せる数少ない一人だったのに。そんなこと、言わなくても分かってくれていると思っていたのに。そいつとは、違う場でやり合い、それ以降口をきいていない。過去のことには、互いの環境や生き方が反映される。共有する相手がいないと話していてもちっとも面白くない。
そんなことをひっくるめて、過去は過去だ。
明日、多分生きている以上、未来に生きたい。
明日に向かって走りたい。
SNOW
2006年12月17日 岡崎 徹
さっきから『粉雪』ばっかり聴いている。どへたくそなギターで弾けないものかと弦をかき鳴らしてみたり。夜だから気を遣いつつ。
この曲って、去年だったっけ?たまたまFMでナビゲーターが「それでは続きましてレミオロメンの新曲です」なんて紹介があって、聴いた気がする。僕は車の中ではCDばっか聴くので、ほんとグウゼン。そのとき、「あ、これ売れそうだな」と思ったことも。
久しぶりにテレビを見た。たまたまやってたのが『私の中の頭の消しゴム』。だめだね。おちがわかっているのに、切ろうに切れない。スピード感もあってついつい引きこまれちゃう。ソン・イェジンにもひきこまれちゃったなあ。
唐突におこる衝動、感情。時には分析してやるのだけど、そして分かることもあるのだけど。んーなかなかはっきりしないのね。
2年前だった、と思う。冬期講座初日、うっすらと雪が積もった。その日は豊川校。早く来た生徒からミニ雪合戦がはじまった。雪だるまを作った子もいた。かわいいな、と思った。僕もちょっとまじって雪をつかんで投げた。
粉雪に『素直になれないなら 喜びも悲しみも むなしいだけ』というくだりがある。
僕たち大人はその成長の過程でいろんなことがあたりまえになり、「素直さ」を失いながら生きている、と言っていい。だからこそ、純粋なもの、素直なものに心ひかれる。炭酸飲料を飲みたい子どもが「ねえ、シュワシュワのみたい」って言うと、ほら、かわいいでしょ。雪もそうなのだろうね。
でも、自分を守るためだけに素直さを失うことはしたくない。その守るものってナニ?見栄?ささいなプライド?怒られるよりは無難な毎日のほうがいいから口を閉ざすの?
人はひとりひとり違う。心も違う。だからこそ、心と心がわずかに触れ合う瞬間で感じあうしかないはず。
今年もあとわずかだね。雪はおりてきてくれるだろうか。
冬期講座の初日は、今年も豊川校だ。
『 A boy & a girl 』
2006年11月22日 岡崎 徹
少年はとんでもなく僕を支配した。授業中に集中しない、学力判定テストでは取れない。
でも、授業はほとんど楽しそうに受けている。ひとことで言うと可愛げはあるが、手がかかる子だった。
中1のときに母親から電話を受けた。「ウチの子、成績が下がっているのが心配なのですが」
ぼくはそのとき、彼に対して考えていることや今後どうしていきたいかを話した。ぼくの推察が正しければ、そのときのぼくの話では、母親は納得してくれなかったと思う。だって、自分も彼をもてあまし気味だったから。彼が何を考えて何に価値を持ち、何をしたいのかが分かっていなかったから。
そして、約4年前の6月4日。一人の少女がカイタクに現れた。少年と同じクラスで授業を受けることになった。少年たちは好奇心に満ちた目で少女を見ていた。 そして、少女はまだあどけなさを残した笑顔を浮かべながら楽しそうに授業を受けていた。少女は不器用だった。理解するのに時間がかかる子だった。でも、勉 強熱心。テスト前はいつも徹夜になる。それを何度やめるように言ったことか。いい成績を取りたいがあまりに頑張りすぎてしまう。
このままいったら・・・。けれど、彼女の成績は入塾してからどんどん上がっていった。
少年も少女も中2になった。少年は2学期変貌した。遅刻が多くなり、眉をそり、髪型もおしゃれになった。ぼくが注意する回数も増えた。でも、ぼくは待った。心の中で思っていた。『この子を3学期に変える』と。今はまだ何を言っても変わらないだろう。でも、もう少し関係が築き上げられれば。そのときに。ぼくは強く心に決めていた。
少女は相変わらず不器用だった。少女にも転機がやってきた。成績が思うように伸びなくなり、悩み始めるようになった。僕は言った。「今のままの勉強方法では 伸びないよ。あせりからくる徹夜の勉強では覚えたとしてもすぐに忘れちゃう。頑張りは認める。でも新しい方法で頑張る勇気をもたなきゃ」彼女は笑っていたが、徹夜がなくなることはなかった。ぼくは彼女に言った。「入試の前日にしっかり眠ること。それが目標だね」
2年の3学期。少年は変化を遂げた。自分は彼に何を伝えたのだろう。何かを伝えたはずなのだが、残念ながら今では思い出せない。ただ、ひとつだけ言えるのは彼を信じて言葉を発したこと。まず、授業を受ける態度が変わった。学力判定テストでも頑張った。何点とりたいのかを意思表示するようになった。ぼくは、嬉しさを隠しきれなかった。『その調子だ、頑張れ』心の中で何度も微笑んだ。ぼくは、まだ彼を引っ張っていきたかった。上のほうへ。さらに上のステージへ。
二人とも3年生になった。少年はさらに加速していく。志望校をはっきり国府高校にさだめ、自分達の言うことをどんどん吸収していく。1学期、内申点も上がり、上々の滑り出しを見せた。「先生、俺、まだ内申上げるで」
彼の言葉には、自分の手でつかみとった自信が込められていた。
少女もあどけなさはどこかに残しながらも頑張り続けた。部活動で長距離の選手として活躍しながらのカイタク。
時折眠そうな目をしていた。ぼくはすかさず様々な言葉を発信する。受け止めているのかいないのか分かりにくい表情。さらにぼくは眠気を覚まさせる。そんなことが続いた。
志望校は国府高校。内申点は十分にある。しかし、実力が・・・。それが彼女の悩みでもあった。
夏期講座に入った。少年は授業前に実施される完全定着テストの1回目で「らしくない点数」をとった。
中浜校で授業に入っていたぼくは電話をし、彼に喝を入れた。「すみません。次からは取ります」殊勝にも彼はそんなことを言った。そして、それは実行された。少女は部活動の都合で、ほとんどの講座を豊橋本校で受講した。見知らぬ子たちの中、それでも明るく授業を受けていた。
3学期、最後のテスト。少年は3年生のテストの中では最低の結果だった。内申点は1つダウン。国府高校を受けるにはそんなに安全ではない内申点だ。少女は学年末テストでは最高順位だった。しかし、その顔には笑顔がなかった。実力テストの国語において大失敗。彼女はそのことを悔やんでぼくの前で泣いた。ぼくは彼女の前で努めて明るく振舞った。志望校の選択の際にも涙をこぼした。そのときに、彼女の夢を教えてもらった。母親にも来てもらって3人で話し合った。結局、国府高校で決まった。
2月は補習、補習の連続だった。少年の英語、社会。少女の英語、数学が心配だった。でも、二人とも頑張ってついてきた。力も徐々についてきた。最後の通常授業。ぼくと建部でギターを弾いた。彼、彼女を含めて頑張りつづけた豊川校の生徒たち。二人とも泣きそうだった。何に対して涙があふれそうになったのだろう。でも、必死でこらえる自分がいた。彼は片手で顔を隠しながら泣いていた。彼女は涙をこぼしながらも懸命に目を見開いてその光景を記憶に残そうとしているかのようだった。ぼくも心でシャッターを切っていた。今でも忘れられない。
入試の朝。「昨日、ちゃんと寝ましたよ」国府高校で会った彼女は楽しそうにぼくに告げた。言葉少なく、それでも少し笑いながらぼくの前を通っていった彼。ぼくは二人に月並みな声をかけ、2004年度の入試が終わった。
でも、2人の結果が気になってしょうがない。神様は信じないぼくだけど、いるのなら2人を合格をさせて欲しいと願った。内申点と当日の得点の合計が同じ点数で2人とも並んでいた。受かるも一緒、落ちるも一緒。2004年度の入試も最後までぼくを悩ませた。
1年前位くらいだったろうか。彼女に電話をした。彼女の卒業作文を広告に掲載したくてその許可をとりに彼女と母親と話した。長い電話になった。でも、楽しかった。「あたし、結構太りましたよ。顔とかもうパンパンですよ」屈託なくずっと彼女は笑っていた。ぼくも笑いどおしだった。大したことなど何一つ話してないのに盛り上がった。太った彼女など想像できなかった。ぼくの中ではいまだ彼女はガリガリ君のままだ。
1年くらい前のはず。彼が豊川校に友達と遊びにきた。コーヒーの差し入れなんかしてくれて、ずいぶん高校生らしくなっていた。長い話になった。でも、楽しかった。女の子の話で盛り上がった。
「あいつと話すことあるの」ぼくは彼に彼女のことをたずねた。「いや、クラスも違うし」彼は言葉少なく返した。
彼は国府高校の制服を脱いで手に抱えていた。
今年の豊川校の子たちは英語が苦手な子が多くてちょっと大変かな。でも、まとめテスト頑張ってたし、これからかな。夏期講座、頑張らないといけないな。
ありがとう、コーヒーを差し入れしてくれて。久しぶりに飲んだコーヒー、おいしかったよ。
ありがとう、ガリガリ君、最高の卒業作文を。今年もいっぱいの花を咲かせられるよう頑張るよ。
また、どこかであえればいいね。