さっき、自分の書いたブログをUPさせようとして前回同様間違えてしまい、年甲斐もなく切れてしまった。ほんとうに機械に弱く、どうしようもない。15分以上もったいないことをしてしまった。
本題に入る。
妻と話していて気づいた。過去の記憶がまるでないということを。そして、あまり思い出そうともしない自分がいることを。小学3年生の時は、五嶋先生が担任で、新聞係をしていて、モリナガという嫌な奴がいて・・・、と徐々に辿っていけば思い出せないこともないのだが、記憶を呼び起こすことが億劫だ。
なぜだろう。忙しいから、と人は言うでしょう。そうではないんだな。
忙しいから、遊べない。忙しいから、この仕事できませんでした。「忙しいから」は何か呼応の副詞みたいになって終わりに否定形をとる。この言葉、口に出さなくても心の中で思ってたら使っているのとおんなじじゃ。忙しいから、ではない。
忙しくても、遊ぶ人は遊ぶでしょう。忙しくてもバリバリ仕事をこなす人もいる。要はやりたいか、やりたくないかでしょう。遊びも、仕事も、そのほかも。
俺は一般人だから一般人の考え方しかできないけど、それはそう思う。過去のことを思い出すのが面倒くさいのは、やりたくないから、だけ。
過去のこと、思い出してもしょうがない。23歳のときからそう思って生きてきた。思い出してくよくよしててもしょうがない。消しゴムは文字しか消してくれないし。終わったことを振り返って悩んでも始まらない。「始まらない」から終わってるんだけど。
次に残っている未来で。その未来を素晴らしい形にして、過去に閉じ込めて。
過去のことを振り返ることが生産性がないと言っているわけではない。統計学的にも過去のことは大事です、とこの前教えられた。その通り。生徒の過去のことを覚えていることも大切だと思う。
でも、仕事以外でごくたまに過去のことを話すやつらがいる。決まった友達だけど。そのうちの一人が、31歳の時だったかな、こんなことを手紙に書いてきた。
「お前も過去のことしか話せない奴になったな」と。
ビリビリその場で手紙を破き、肩で息をした。そいつは俺にとって過去のことを話せる数少ない一人だったのに。そんなこと、言わなくても分かってくれていると思っていたのに。そいつとは、違う場でやり合い、それ以降口をきいていない。過去のことには、互いの環境や生き方が反映される。共有する相手がいないと話していてもちっとも面白くない。
そんなことをひっくるめて、過去は過去だ。
明日、多分生きている以上、未来に生きたい。
明日に向かって走りたい。